新任副院長自己紹介 竹内壯介

ホスピタル

このたび4月1日付で副院長職を拝命致しました竹内壯介と申します。よろしくお願い致します。

会社員であった父の転勤で、幼い頃は横浜・川崎と宮崎県の延岡で育ちました。小学校後半と中学時代を過ごした延岡市は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」のなかで「松山から左遷される田舎」として描かれていますが、空が広くて/時間がゆっくりとながれる空間で、恵まれた環境だったと想います。中学時代は水泳部で、屋外プールでしたけれど4月から9月まで泳げる温暖な気候でした。

宮崎西高等学校の理数科へ進学し、3年間下宿生活をしました。初めは寂しかったですが友人にも恵まれ、親から離れて自由な高校生活でした。周りに医学志望の同級生もいて、医師を志すようになったのも此の頃でした。

先に東京に転勤していた家族を追いかけるかたちで、東京大学に進学しました。一人暮らしが恋しかったのですが、その後は父も転勤は無く、大学時代は自宅から通学することとなりました。それ迄に経験はなかったのですが、鉄門サッカー部へ入部し、良き先輩やチームメイトとまじめに練習に取り組みました。ポジションはゴールキーパ―で、あまり上手にはなりませんでしたが楽しい日々でした。

ヒトの脳神経系の精緻なメカニズムに惹かれて、神経内科を志望しました。卒後1年目は東大病院内科で、2年目は三井記念病院内科で初期研修をしました。

3年目に神経内科へ入局し、後期研修は虎の門病院と日赤医療センターへゆきました。大学へ戻り病棟指導医を務めたあと、大学院では転写調節因子の解析に取り組みました。

学位を得た後、助手として杏林大学第一内科(呼吸器・腎臓・膠原病・神経)へ赴任し、診療とともに、初めて講義や学生実習を担当しました。医学生や若い医師を指導するなかで自身も学ぶことの多かった5年間でした。

2006年に、新宿の国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)神経内科へ赴任し、脳卒中を始めとする神経系急性期疾患の診療を担いました。2009年に診療科長となり、医療安全・SCU創設をはじめ組織運営を学ぶ機会も多く、14年間を過ごしました。

2020年に国府台病院神経内科へ異動し、御縁に恵まれ2021年11月に大森赤十字病院へリハビリテーション科部長として赴任致しました。神経内科医としての経験を生かして、急性期リハビリテーションの充実を目標としてきました。

当院では、初期研修・医師の働き方改革・医療安全などの役割を兼任して参りました。大森赤十字病院の特性として、診療科間の垣根が低く、救急診療など各科の協力のもとで運営されていること、看護師やコメディカルとの業務分担が密におこなわれていることなどを感じてきました。そして、時代の変化に応じて、常に休むことなく様々な変革が続けられていることを体感しています。

当院での経歴も短く経験も不十分で、各方面に指導を頂き乍ら務めています。橋口陽二郎院長そして先任の渡邊俊之副院長を補佐しつつ病院運営に携わり、大森赤十字病院そして地域医療の発展のために微力を尽くす所存です。何卒よろしくお願い申し上げます。

副院長 竹内壯介

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プロフィール

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