『ドクターX』と医療訴訟

『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』は、テレビ朝日で放送された人気医療ドラマシリーズであり、主演は米倉涼子さんが務めました。主人公の大門未知子は、フリーランスの天才外科医であり、「私、失敗しないので」という決め台詞とともに、難易度の高い手術を成功させる姿が描かれました。病院内の権力闘争や組織のしがらみをものともしない彼女の姿勢が、多くの視聴者から支持を集めました。

このドラマは、現実の医療現場における問題や倫理観にも焦点を当てており、特に医療ミスや医療訴訟といったテーマとも密接に関係しています。医療訴訟とは、患者さんやその家族が医療機関や医師を相手取り、診療行為における過失や説明不足を理由に損害賠償などを求めて訴えることです。現実世界では、医療行為の中で予期せぬ合併症やミスが発生することがあり、それが医療訴訟に発展することも少なくありません。

日本においても、医療訴訟は増加傾向にあり、裁判は複雑化する傾向があります。また、医療訴訟の増加により、医師がリスクを恐れて高度な治療を避ける「ディフェンシブ・メディシン（防御的医療）」の傾向も強まっていると言われています。

ドラマ『ドクターX』では、大門未知子が高度な技術と確固たる自信を持ち、患者を第一に考えて治療を行う姿が描かれます。しかし、現実の医療現場では、医療訴訟のリスクや医療ミスの回避が重視されるため、ドラマのように自由に治療を行うことは困難で、原則として該当する領域の学会で作成されたガイドラインに沿って診療が行われます。病院で手術や処置の前に医師の説明を受けたことのある方は皆さん感じておられるでしょうが、「この検査を受けるとこんな合併症が起こることがあります」、「この手術を受けても症状が取れないことや治らないことがあります」、「この手術は命に関わることがあり、死亡率は〇％です」などと医師からの防御的な発言が連発することになり、なんとも自信なさげで頼りなく感じられるかもしれません。

しかし、このように合併症が起こることや症状が取れない可能性がある、あるいは亡くなるリスクを伴う医療行為を行う場合には、しっかりとそのことを患者さんやご家族にあらかじめ説明することが行政からも司法からも医師に求められており、怠れば、「説明義務違反」に問われることになります。いくら自信があっても、いくら失敗したことがなくても、よい結果が得られない可能性を述べる義務を医師は負っているのです。こうした背景を踏まえながら、『ドクターX』の世界観と現実の医療の違いを考えると、視聴者にとって大門未知子の「私、失敗しないので」という言葉がことさらにすがすがしく、頼もしく感じられるわけです。

外科医の立場からこのドラマを見た場合に感じるもう一つの違和感は、大門未知子が自由自在にガイドラインからの逸脱をやってのけることです。私は「大腸癌治療ガイドライン　図１」の委員長を4年ほど務めましたので、殊更にその印象が強いのかもしれません。一般に診療ガイドラインから逸脱した治療を選択する場合は、その旨を患者さんに説明して同意を得る必要があります。一方、患者さんの同意を得たからと言って、何をやってもよいわけではなく、あまりにも非常識な治療である場合には、患者さんの同意があったとしても、法的・倫理的責任を問われる場合があります。しかし、一般的に、治療が成功してよい結果が出た場合に、そのことを咎めだてする人などいないと考えられます。

そうです、大門未知子が自由自在にガイドラインを逸脱できるのも、「彼女、失敗しない」からなんです。

ちなみに、よい結果が得られなかった医療について、それは医療過誤だとして患者さんやご家族から訴訟が提起され裁判が行われた場合、ガイドラインに沿った検査・治療の結果である場合には過失として認定される確率が2％なのに対し、ガイドラインを逸脱した医療の結果であった場合には、その確率は47％に跳ね上がるとの報告があります*　（図２）。

診療ガイドラインは、患者さんを守るばかりでなく、医療訴訟のリスクの中で患者さんのために医療行為を実施しなければならない現場の医師も守っているのです。

*桑原博道，淺野陽介: 特別寄稿 2，ガイドラインと医療訴訟について―弁護士による 211の裁判例の法的解析―．Minds 診療ガイドライン作成マニュアル．小島原典子，中山健夫，森實敏夫，山口直人，吉田雅博編．公益財団法人日本医療機能評価機構．2015